落ち込んでばかりでもないし、ちゃんと笑えるし思ってたよりもふつうに過ごしています。時々ぽかんて空洞ができたみたいにボーっとしてしまうこともあるけど。そこにいおりがいないことが不思議な感覚です。
息をひき取るときにそばにいられなかったことや、もっとなにかしてあげられたんじゃないかって、自分の中でうまく消化できないことがあって。しかもわたしはそのとき京都にいたわけで。もやもやもんもんしたものが渦まいていたのだけど、あたたかくてやさしいメールをいただいて心が軽くなったというか、すごく救われました。ほんとうにうれしかった。そういうところもひっくるめて、その人のことが大好きなんだなーと思いました。ほんとうにありがとうございました。今度会ったらちゃんとお礼を言わなくちゃ。
今日、お骨拾いをしていおりが家に帰ってきました。「持ち帰る」て言ったら、は?みたいなことを言われたけど、もうしばらくは家で過ごしてもらいたいなっていうのが家族全員の気持ちだったから家に帰らせてもらいました。お父さんなんてケーキ買ってきちゃったりしてさ。わたしはパンのほうがいいと思うんだけどなー。いつまでもここにいるわけにはいかないけど、もうちょっとだけうちらのそばにいてください。

大事な犬が死んでしまって悲しいのは当たり前だから、
泣きたければ人前だろうが思いっきり泣けばいいと思いますよ。
絶える必要はない。

だけど後悔はしない方がいい。

死に際に会えなかった、とか、もっと大事に、
という後悔はよくない。

いおりが死んだ現実を悲しんでやるよりは、
いおりと過ごした時間をしっかりと記憶してあげることが
いいんじゃないかなー。