ふと目が合うときの ときめきだけがすべて

relaxin382013-05-14

ツイッターをやっていると、同じことを言っているのにその人の言葉のニュアンスとか選び方でずいぶんと感じ方が変わってくるものだなあとしみじみ実感する。自分の言葉だってそうなんだろうって思うから全員が肯定する言葉なんてないのだろうけどね。好きだとゆう気持ちは同じでも貶して愛でるやり方はわたしはほんとにわからないし、もちろん全部を受け入れることが愛ではないと思っているし好きだからこそ言いたいこともあるけど、それを伝える言葉の中にふくまれる相手を愛しく想う気持ちが伝わらなかったらそれはただの批判になっちゃうし。まあ、年中夢中で太陽と月について運命論をかっ飛ばしてるわたしなんかもべつの意味でだいぶん疎ましい存在であるとは思うけど、そこには愛はありますから!(開き直り)や、でも、貶して愛でる人にも愛はあるって言われたらそれまでなんだけど理解不能だわ。そもそもアイドルじゃなくたって、貶されたら相当へこむし好きな人に対してはふつうにデレデレ甘い言葉を吐きたいじゃない?それとおんなじですよ。
話はちょっと変わるけど。ぶいを好きになって、最初は細々とひっそり好きだとゆう気持ちを撒き散らかしていたから(この時点でひっそりでもない)そのときのことを思うと、いま、同じ気持ちで彼らを愛でることができる人たちがいることがほんとうにうれしいなあって思います。たかが140字の世界ではあるし依存みたくなってるけど(笑)信頼できる人たちの言葉で彩られるタイムラインはわたしの自慢よ。ね。これだからヲタクはさあ〜って、笑っておいてください。
そして、とても大好きな人がこちらがわに戻ってきてくれた5月5日(ごーの日!)をわたしはきっと忘れないよ。わたしにいろんなことを教えてくれた人がこちらを離れていって、でも愛でる気持ちはおんなじでそれはそれでうれしかった。だけど、同じ場所から同じ目線で同じものごとを愛でることができるのはなんとも格別なことだなあって、うん。それを日々感じています。
これまでとこれからに。ずっと愛を注いでいこうね。おかえりなさい!