2度と戻らない美しい日にいると

今日は朝から平家派を見て泣いて西の子たちのことを考えて泣いていいともでの小沢くんの歌を聴いて泣いて、ひたすら泣いていた気がする。いい年した大人がわんわん泣いて自分でも恥ずかしすぎるのだけど、今日は朝から心も頭ももわもわしていて感傷的になっていたからしょうがない。季節の変わり目のせいにするけど、この時期はいつも不安定だからなあ。心が落ち着かない。泣きたいわけもなんとなくわかっている。手放したものと手に入れたものの大きさなんて考えてもしょうがないけど、失くしてしまったものは(意図的ではあるけど)またこの手の中に戻ってくるのかな。どうだろうね。ただ寂しかった、というのはどちらに対してなんだろう。
まだまだ感傷気分をひきずるめんどうな30代だけど、お昼の小沢くんを見て歳を重ねることはすてきなことだなと思った。若い子を追いかけているせいで年寄りに見られることにすごく抵抗があるのだけど、変に若づくりしなくてもいいし自分の年相応でいられたらいいのかなって思った。どうやったって年寄りは年寄りだし。ケアを怠るとか手を抜くとかではなく、いまの年齢の自分を楽しめられたらそれがいちばんいいのかもしれないなあって。まあ切りすぎた前髪を眺めてこれ書いていますけど。等身大ですきなこたちを想い続けられたらなあと思います。
もうすぐ駆け抜けた日々が終わるね。きみたちの未来への第一歩を見られる毎日がとても愛おしかった。最後までたくさんの煌めき見せてね。